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~世界の片隅から~

復帰40年

どーもSnashiです。
今日は、真面目な話。
本当は5月15日に書くべきだった話。

そう、沖縄の話。
今年で沖縄県が日本国に復帰して40年です。

1945年~1972年の間は、46都道府県だったのです。
沖縄に行くのにパスポートが必要だった時代があるのです。
もちろん、自分が体験したわけではありません。
でも、このような時代があったことは覚えておいて欲しい。


そもそも自分が沖縄に興味を持ったのは、ゼミの先生の講義の日米関係論で沖縄の問題を聞いてから。
当時1年だった自分にとって、一番興味を持った話で(他の先生の授業受けてたらまたかわってたかもねw)、そのままゼミに入ることに。
そのへんから沖縄問題を少しづつ理解を深めていったのだが、3年の時に沖縄へ行って、現実を見てきたことがさらに問題意識を深めていった次第。


復帰から40年が経ちました。何が変わったのか?
根本的な問題は変わっていない。
いまだに多くの基地が存在し、基地から派生する事件・事故、爆音被害によって、県民の生命や基本的人権が危険にさらされている。

沖縄の人々が「復帰」に込めた「基地のない平和な沖縄」「日本国憲法の下への復帰」という悲願は達成されていない。

本土の人々はもっと沖縄の負担を考える必要がある。
沖縄の負担を減らすべきとか言ってるやつも、いざじぶんのとことなると拒否である。
思いやり詐欺もいいとこである。
沖縄行って、海が綺麗だーとか言ってないで、基地の隣に1日いてその騒音を、危険さを、ガマに入り戦争体験を感じた方がいい。
如何に自分たちの平和が多くの犠牲に、特に沖縄の人たちの犠牲の上に成り立っているかを身を持って感じるべきである。
それを原点として話あうべきである。


100人のうち74人分のランドセルを1人で持たせるという、悲惨なイジメは許されないのである。
しかも人間と違って自殺して逃れることできない。イジメが終わるまで、ずっと続くのだ。


沖縄の痛みにしっかり向き合い、考え、対話していくしか何も変わらない。
何が以前の沖縄なのかと言われると難しいけれど、基地がない安全な沖縄に一刻も早く戻って欲しいと思う。

沖縄の中でもいろいろなスタンスがあり、それぞれの問題があるが、その問題を本土の人間が少しでも考え、思うことがその始まりなのではないだろうか??

5月15日に各新聞社(主要紙・沖縄2紙)の社説をリンクにまとめましたので、よろしければ、ぜひ。
https://docs.google.com/document/d/12dKH8ONEmdqoQkHeuPzgNz0wij082XblVZQwlUefxF0/edit

※朝日と日経はリンク切れだったため、社説自体を再文章化しています。なので誤字、脱字あったらすみません。

 

 

世界 2012年 06月号 [雑誌]

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