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~世界の片隅から~

日本の原発について考えてみる

最近は、地震というのも結構あれですが、福島の第一原発の事故により、「原発」というものへ世間の関心がむかっているようですね。

というわけで、自分も勉強不足ではありますが、原発について考えてみたいと思います。

 

そもそも日本は、敗戦国であり、原子力の研究自体を禁止されていた時代というのもあります。

なぜかって、それは簡単で「核」を日本が作ること自体が恐怖の対象であったからです。

今の北朝鮮が「平和的に使う」と言っている、軽水炉を「核」をつくるために使用するんでないか?という考え方と全く同じです。

 

それが、1951年のサンフランシスコ講和条約調印により解禁となり、1953年米国アイゼンハワー大統領の国連演説「平和のための原子力」により原子力の平和利用が世界的に進められ、日本においても1956年原子力基本法が施行されることになった次第です。

 

そして、1956年に、東海村日本原子力研究所現、独立行政法人日本原子力研究開発機構特殊法人として設立され、1963年に日本初の原子力発電所が稼働しました。

 

と、ここで。

 

日本って、原爆を落とされた国です。

つまり、「平和的でない原子力」の使い方をされた唯一の国です。

さらに、1954年には、かの有名な「第五福竜丸事件」が起きています。

久保山無線長(当時40歳)が「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」という遺言は、日本人の反核運動をさらに推し進めることとなりました。

 

原子力発電所は「平和的な原子力」で、核は「平和的でない原子力」ですが、どちらとも「原子力」であることに変わりはありません。

 

ところが、日本政府は国民の「核アレルギー」をあざ笑うかのように、原発設置計画を推し進めていたことになります。

つまり、外向けには「反核!」を掲げておきながら、「平和的」という理由で原発設置計画をという矛盾。

 

ちなみに、水爆実験と比較するのもあれですが、67回も実験が行われたビキニ環礁は、実験終了から半世紀たった今でも、島民の帰島は許されておらず、そこから約240km離れたロンゲラップ環礁は今でも、深刻な放射能汚染にさらされています。

 

さらに、記憶に新しいチェルノブイリでの原発事故では、広島に投下された原子爆弾(リトルボーイ)に換算して約500発分の原爆投下に相当する量の放射性物質が撒き散らされ、2010年12月21日まで、半径30kmへの一般人の立ち入りが禁止されていました。

なんと、24年間も立ち入り禁止という事実。

 

これを考えると、日本という地震大国に原発を作り、今回のようなことが多発すると日本全体が放射能汚染で覆われるのではないかと思います。

そして、今回の福島でも上記と同じような状況がありえるのかもしれません。

 

今の日本の電気消費量を考えると、当分の間は原発による発電に頼らなくてはいけないと思います。

しかし、上記の被害のことを考えると、今回の地震を気に電気をどのように作っていくかということを真剣に考え、一分でも早く原発をとめることを考えたほうがいいのではと思います。

といっても、廃炉にしたからと言って、すぐに安全というわけでなく、その後の処理をどうするのか?というのも大きな問題になると思います。

抜いた核燃料を地下に安全に埋めるというのが最近出ていますが、もし、安全性が損なわれたら、その土壌は一定の土壌汚染をするわけで・・・

 

と、一つ一つ考えていくと「原子力」は本当に安全なのか?という問題につきむかうわけです。

もちろん、今ある原発をどう向かいあうかという問題もありますが、今計画されている原発計画を見直し、それを中止するのもリスクを回避することであると思います。

福島と同じ街や地域を出さないために。

 

自分でも勉強不足の部分は多いので、これからもっと勉強する必要はあると思いますが、今回はこのへんで。

最後に、久保山愛吉さんの遺言をそえさえて頂きます。

 

原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」

 

Wikipediaより

 

他のHP

上関原発反対のホームページhttp://stop-kaminoseki.net/